大里の歴史の中で、大きな足跡を残しているのが1183年のこと。 まさに源平合戦のころの話です。昔は「柳」や「柳ヶ浦」と呼ばれてい たこの地に、安徳天皇を伴った平家一行が「柳の御所」を設けて滞在し たそうです。その後、平家軍は源義経の軍に敗れてしまうのですが、そ の御所を設けたことでこの地を「内裏」と呼ぶようになったとか。現在 の「大里」と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからだと言わ れています。関門海峡に面したこの地は、最も本州に近い場所の 1つであり、海峡を渡る港として利用されてきました。海峡を渡る大名 や旅人の宿場町に発展していくことになるのです。
「門司」の地名は「門を司る(カドをツカサドル)」に由来するそうです。九州の門(カド)にあって海峡の管理を司る(ツカサドル)ことから来ているとか。奈良時代の瓦には、すでにそう書かれたいたというので、いにしえの防人たちにそう呼ばれていたのでしょうか。 このように古くから本州と九州を結ぶ交通の要だった門司は、大宰府政庁が置かれたことで、さらに重要性が増したと考えられます。太宰府から都を結ぶ道は太宰府官道(大路)と呼ばれ、門司を通って本州へと続いていたのです。歴史的なロマンがありますね。